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● 日付:2003年11月13日(木)

● 題名:固いうんち II

● 本文:

しばらく便秘が続いている。朝食べず 昼ラーメンで 夜のみ野菜を食べるからか?
すでに蜜柑は極早生完熟で甘味も増して袋ごと7-8個食べるので繊維質は十分のはずなんだが?
で 固いうんちの間は いろいろ考える。主に快楽とその周辺について。
快楽とは発達過程の快楽原則に従い 母乳授乳の口唇期、排泄快感の肛門期
性的成熟に伴う陰茎期があり これらは学習はあまり関係なく 固有の
神経系の成熟にともなう本能的というか 正常な神経経路発達によるものだ。
知覚神経を介したノルアドレナリンによる覚醒機構とドパミン放出による快楽機構
そしてそれをコントロールするセロトニン機構のバランス。
睡眠や鎮痛のエンドルフィンも関与している。

が年中発情し 年中射精妊娠可能な人類には 快楽の社会的学習構造がある。

それは社会的存在としての疎外感による不安や無力感、絶望感の 他者による
関与による補充でも他者の評価でも対価でも 充足される時にある。
恋愛とか愛情とか他者の肉体と精神を介した 皮膚粘膜知覚と関係幻想によっても
得られるだろう。自己身体への内向でも 例えばランナーズ・ハイという筋肉運動
からの知覚求心刺激によってさえ快楽は得られる。

関係的存在としての人間が 外部総体からの関係幻想 直接身体知覚 そして
自己幻想により ドパミン大量分泌し 快楽は得られる。

では どのように快楽は 喪われるか?
まず神経系の障害 ドパミンの産生・分泌・受容機構の障害。
身体知覚の減衰、痛み等の撹乱因子の増加
関係妄想の破綻、自己愛の喪失、日常の無常なる事への覚醒 ・・

快楽もまた脆い基盤の上の 一過性の現象に過ぎない。

そもそも幸福という日本語はなかった。
明治での 西洋思想流入において ボヌールやハッピーの訳語として
幸(さち)と福(ふく)を合成したのである。
ボヌールはボンとウールで「善き時」つまり好機を掴んで幸福になるという
時間に関係した語であるのだが 日本には そうした概念はなかった。
幸(さち)は「さ」=境界、「ち」=霊力であり 境界領域の霊力を
コントロールして獲物を得るという狩猟生活の語であった。
福(ふく)は常世と関係し尽きる事ない富と永遠の生命の溢れる場所を
示す。だから福の神であり招き神。だから福の神は呪的であやしい側面も持つ。
招かれる神の全てが福をもたらすわけではないからだ。過剰は安定を脅かす。

快楽が幸福ではない事は すでに誰でも知っている。
快楽に溺れて滅んだ民は 古今東西枚挙にいとまがないほどある。
さらに幸福という言葉に実体はない。これは1神教とりわけキリスト教的
合理思想と不可分なものであり 民族文化的背景がないからである。

うーん やっぱりそこに行くか(^^;)
固いうんちはアニミズム好きなのであるのよなー。 

● 暗唱番号:

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