● 題名:
● 本文:そこに辿り着くまでに、初めて走り抜けた山中。 青々と田や畑が続き、山あいに牛小屋、懐かしい木造の小学校跡。 網が張り巡らされた田畑に、「もしやアイガモ農法か?」と思いきや、 案内のじいさまが「鹿だ」と言う。 鹿ばかりでない、熊も猪もと、いかにもさもありなんと思える原風景が続く。 「どんなに困っても、捕って食う事が許されん」と。 高く張り巡らされた網。 車に乗ると畑ばかりが眼に飛び込んでくる近頃、その土地その土地で趣の違う姿に そこに住まう人々の暮らしを想う。 訪れた家は、幹線道路からほんの少し山手に入っただけの細い路地の先。 何度も行き来した道のすぐ際に、こんな暮らしが息づいていようとは、 普段知る由もない。 年老いた御夫婦ともはや中年に差し掛かった独り者の息子さん。 矍鑠としたじいさまが、永年連れ添ったばあさまの行く末を案じて 方々を探しまわったとおっしゃる。 ころころとよく笑うばあさま。 腰が曲がり、とても小さな愛らしい笑顔。 しゃがむと目線が合う。 きれいな肉付きのよい手のひら。 昨日逢ったことも、すでに消えている。また初めてのように挨拶してみる。 その笑顔に、自然微笑ましくなる自分が分かる。 この愛すべきばあさまが居なくなったこの家は、一体どんなだろうか。 老いたじいさまと初老に差し掛かる息子ひとりの男住まい。 その存在の大きさに涙しながら、日々の暮らしは途切れる事なく営まれ、 やがて年月はどんな風に彼らに迫るのか。。。 イメージする事を自ら止めた。 胸がつまって、こみ上げてきそうになったから。 街で雑踏にまみれながら、いつしか馴れて、 さして気にする事もなくなっていた自分に思いが及ぶ。 静かすぎるほどの山あいの古い家屋。 緑と空と、すぐそこに野生の生き物。 私は、どんなふうに老いていきたいのだろう。 どんなふうに暮らしたいのだろう。 憧れは憧れのままに、しかし、寂しさには弱いだろうと 今これを記しながら泣いちゃってる僕。
● 暗唱番号: